『辛い時、誰にでもいいから相談して』がムリな話
『辛い時は誰でもいいから相談して』ってめちゃくちゃハードル高くないですか?
新学期が近づいてきたということもあってこういった文面を目にする機会が増えたので自身の経験を元に所感をだらだら書いてみる。
私は人に相談できないタイプの人間だ。
以前東京で一人暮らしをしていた時、あることをきっかけにパニック障害とうつになり家から出れず職場へ行くことができなくなったことがあった。
家にひきこもりお風呂も入れず、生きたくないけど死ぬ勇気もなくて夜になると涙が止まらない、そんな状態が続いていたが家族にも友達にも誰にも相談できなかった。
何度か自宅を訪ねてきてくれた職場の方が見かねて実家へ連絡してくれことで状況が更新された。
翌日には母親が地方から新幹線に乗って様子を見に来てくれ、しばらく実家に戻り休むことに。
もしそのままひきこもった状態が続いていたら今頃どうなっていただろうと考えると当時の職場の方にも母にも感謝しかない。
そんな私が人に相談できなかった主な理由
- 聞いた人の負担・迷惑になるのでは?と苦しさより申し訳なさが勝つ
- 話したところで何も変わらないと思っている
- 自分に自身がなく、取り繕って生きているため話してどう思われるかが怖い
- そもそも今まで人に相談した経験がなく、人への頼り方がわからない
こんな感じの思考なので『辛い時、誰にでもいいから相談して』はハードル高すぎて私にはムリだった。
いやそもそも誰にでもいいからって誰に言えばいいんだ?というお気持ち。
なので、大体の悩みは自己完結させるしか術がなく完結しないものについては堂々巡りでもやもやずるずる悩み続けてた。
ではどういった人になら言えたのかを考えた結果は、
「医者」
これはこちらがお金を払う対価に話を聞いてもらうという関係性が成り立つので、聞いてもらうということに罪悪感がない。これなら負担が少なく話ができる。実際私もお金を払って通院し話を聞いてもらった。
次に、そんな私がこの誰にも相談できない抱え込み型な私の友人(or家族)であった場合、一体何ができただろう?と考えてみる。
① 定期的に連絡を取る。
➡受け身なため連絡はこないであろうから定期的に連絡して生存確認する。
② 少しでも普段と違う感じがあれば実際に顔を見に行く
➡健康状態は顔に出る。
③ とにかく話を聞く
➡自分自身のことをあまり話しだせないタイプには質問して話を聞き出す
こんな感じかな?
できることは全然少ないけど、やはり言えないタイプには周りがいかに気づけるか、普段からアンテナを張っておくかが結構重要なポイントだと思った。
私の場合はとにもかくにも自意識が過剰で、その癖自己肯定感が低いので人にどう思われるかばかりが気になり言えなかったけど、やっぱり心のどこかでは気づいてほしいという願望はもちろんあったので。
自ら相談するというのは勇気がいる。誰にどんな風に話そうかと考える能動的な作業でありエネルギーがいる。しかし悩み切っている時にはもはや力も尽き果てて疲れ切っている。
問題は疲弊してしまう前に動けるかだ。
さらには何を言ってもどんな自分も受け止めてくれる、そんな人が周りに一人でもいるかどうかでも変わってくる。そういう人に出会えるかどうか、出会っていてもその人が自分にとってかげがえのない存在だと気づけるかどうかだ。
辛い時、誰かに相談できることに越したことはないし、誰かに頼れる自分になる練習は必要だけど、どうしたって言えない人もいるのでそういう人に出会ったとき、どう救ったらいいのか、「誰にでもいいから相談できないその先」を周囲の人は考えていく必要があるんじゃないかな。
正直誰にでも言えてたら極限まで抱え込まないもんなあ